長崎街道・薩摩街道・日田街道の歴史が交叉する山家
山家は、遠い昔に栄えた山家宿(やまえしゅく)がある地域で、上町(かんまち)のほぼ中央に「おえべすさま」とよばれる恵比須(えびす)石神がまつられています。この石神の裏面には、山家の宿場ができた由来が彫り込まれています。今ではもう消えかかっていて、文字のあとがかすかにわかる程度ですが、注意ぶかくみると、次のように書かれています。
当町初建之事去慶長拾六年辛亥十月上旬播州之住人桐山丹波守創造□□□
刻一基之石像為国家安寧斯地長久□□時寛永拾年□□□□ 志方彦太夫立之
この銘文の意味は、「この町がはじめて建てられたこと。 去る慶長16年(1611)10月上旬に播磨(はりま)国(現在の兵庫県の大部分)の出身である桐山丹波(きりやまたんば)がこの宿場を建設した。その記念にこの一基の石像を刻み、国の安全と山家宿の繁栄を祈る。時に寛永10年(1633)、志方彦太夫(しかたひこだゆう)これをたてる。」
道の両側には水路に清い水が流れ、桜並木があった。
長崎街道筑前六宿の山家、道は宿場町特有のかぎ型をしており、出入口には搆口があった。
北西に山並み、南東には平野に川があり風水に富み、縄文時代から人が住んでいたと言われている。
山家岩戸神楽奉納
令和5年10月17日の13時から15時45分にかけて山家宝満宮神楽殿にて山家岩戸神楽が奉納されました。
山家地区内外から約150名の方々にご高覧いただきました。